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聖アンドレア金と同志殉教者                 記念日 9月 20日


 韓国の教会の栄光であるこの殉教者達は、1925年教皇ピオ11世により列福されたが、1984年教皇ヨハネ・パウロ2世の韓国巡礼に際して列聖された。1839年の迫害の時に、79名の殉教者が生まれた。その中で邦人司祭アンドレア金が目立っている。そのあとまた迫害が激しくなり、1866年から1867年ににあと24名の殉教者が出た。この第2グループは二人の司教と五人の宣教師(七人ともパリ外国宣教会)、残りのものは邦人信徒で、青年も、学校の先生も、父親も、伝道師も、65歳の人もいて、皆キリストに対する忠実を自分の血で証明した。

 パリ外国宣教師会会員は次の通り。
1、シメオン・ベルネー司教、教区長 (52歳)
2、アントニオ・ダヴリュー司教、補佐司教(49歳)
3、ユスト・ド・ブルトニェール司祭(28歳)
4、ルイ・ボリュー司祭(26歳)
5、ペトロ・ドリエ司祭(27歳)
6、ペトロ・オーメートル(29歳)
7、マルムノ・ルカ・ヒュイン司祭(30歳)

 邦人の信徒のなかで、ルカ・ホアン・チャイケンを特記したい。彼は、信仰の道に入ると妻や親戚をはじめ、父親までも洗礼へと導いた。大富豪だったにもかかわらず、非常に謙遜な徳を身につけ、その上財産はもちろん、自分自身さえ布教に献げた。補佐司教が布教用の本を計画しているのを知ると、文学者だった彼は、司教の協力者となり、数多くの本を共著した。やがて迫害がはじまると、役人達に教理を教えるために自発的に自首した。その為に、他の信徒よりも恐ろしい拷問をうけたにもかかわらず、他の信徒達をキリストへの完全な忠実を全うするように励まして天晴れな殉教を遂げた。52歳であった。